ハーボニーを飲み終えて

ついに長かったハーボニーが終わりました。

 

飲み終えて思ったのは、明確な副作用はないけど、飲んでたとき、身体は辛かったんだなーということ。

仕事の超繁忙期と治療期間がだだかぶってたのもあるかもしれないけど、飲み終えてからは疲れにくくなったと思う。

 

母は私より先に飲んでたので、既に半年の様子見も終わった。そしてこの間、飲用後半年の定期検診で、「検出せず」になった。年齢も年齢なので、これからも病院には定期的に通うことになる。だけど、きっとホッとしたと思う。父も母と私が感染しているとわかったとき、とても辛かったと思う。父が母が治ったことを嬉しそうに話してくれて、そのことが、私は嬉しかった。

二人はきっと私がせがまなければ、このハーボニーが出た時点で、母が治った時点で、私に病名を告げ、治療するように助言するつもりだったはずだ。自分の病気すら知らずにいたけど、おかけで私は二十歳まで、お気楽に我儘に奔放に生きてこれたんだ。

自分が紛れもなく肝炎患者で、人より長生きできないかもしれないと悲観して、後悔して。逆に後悔しない生き方をしようと余計奔放になって。でも、親が悲しむ顔を見て、きっと私は自由には生きれない、生きたかったようには生きられないと自覚して。やりたいこと、挑戦したいことをしないで、健康に気をつけて、自分をセーブして生活して。辛かった。

 

肝炎は私を形成する一部だった。

ずっと私を形成する全てに寄生しているのが肝炎だと思ってた。

でも、残念ながら昔には戻れない。寄生しているのがなくなったって、戻れない。

 

二十歳ぐらいの頃は、「治ったら〜をしよう。」そんなことばかり考えてた。今はもう治ったからと言って、一生通院しなくていいわけじゃないことをやっと受け入れたので、「治ったら」とは思わないようにしている。やりたいことはできる範囲でやる。できないこともきっとあるけど。沢山辛かったけど、今はもう大丈夫。

 

4月の検査も検出せずだといいな

 

 

ハーボニー飲用開始から1瓶終わり

なんとか1瓶飲み終わり。副作用も何もなく淡々と。

 

4周目の血液検査の結果で一応、ウイルスは「検出せず」になった。案外あっけない。

もともと具合悪かったわけじゃないから、効果が全くわからないけど、やっぱり嬉しいもんですね。

 

3瓶飲みきるのは2月かな?

とりあえず、私のしんどかった5年が終わろうとしています。

 

ハーボニー服用開始から1週間

とりあえず、1週間終わった。

副作用らしい副作用もなく、治っている感覚もなく。なんとか同じ時間に飲んでます。シフト勤務なのが辛い。

 

今日は治療前の手続きについて、書こうかな。

必要なものは医療券のみ!治療するにあたって、申請しなきゃ、探さなきゃわからない恩恵ってあるんだな〜としみじみ思いました。申請もすごい簡単だし。

都道府県での申請で役所にいけば、申請に必要な書類をくれます。診断書、申請書をくれて、診断書は医者に書いてもらう。申請書は自分で記入。あとは、住民票と保険証の両面コピー、世帯の収入証明書。

世帯の収入によって、支払う限度額が決まってるけど、最高月2万の支払い。申請は平日しかできないことを除けば問題ないし、簡単。本来は一粒8万×7日×12週が、月2万で済むとか、うーん、その点はこの病気に感謝だな。医療券ができたら後日普通郵便にてお届け。支払いのときに渡せばあとは2万払って終わり。

 

準備したのはそれくらいで、全然ゆる〜く治療始まった。次の診察は来月。採血して、いい結果だといいな。

しかし、治療を始めてしまえば焦燥感はなくなり、万が一治らなくても、人生そんなもんだなと思うくらい、気持ちは凪いでいる。

 

治ったら、何がしたいか昔は良く考えたけど、もう今更だわ。

 

 

ハーボニー服用開始

紆余曲折でなんとか今日からハーボニー服用開始。

 

医者には無くさないようにと何度も言われ、若干イラッときたものの、飲み始めたら医者など関係ないので、無視。まともな医者がいない、、、。

 

待合室で待ちながらふと思ったのは、病気が治っても、病気を知らなかった頃の自分には戻れないんだということ。肝炎患者であることを、きれいさっぱりなかったことにする、なんて無理で、ずっと私に存在する事実なんだろう。

ずっと治ったら、終わり。元に戻れるって思ってたけど、元になんて戻れっこないよね、、、

治療を前に、気付きました。

 

仕事上、規則正しく生活できないので、飲む時間も迷ったけどとりあえず23時にすることに。

元気なまま治療が終わりますように〜!

 

治療の前の検査で、、、

この間、治療の前の検査ということで、肝臓の超音波検査と、心電図と心臓の超音波検査をした。肝臓は問題なかったけど、心臓の超音波検査で徐脈(脈拍が遅いという不整脈の一種)と言われた。

 

確かに貧血でもないのに、立ちくらみとかめまいは多かったけど、、、原因は徐脈なのだろうか。

 

予定通り11月から治療は始めるけど、体調は少し不安だ。ずっと自分が辛いのは、病気のせいだと思ってたけど、こいつは存在して少しずつ私の身体を蝕んでるだけで、自分が自分の心を不健康にしてるだけな気もするなあ。

 

 

 

ハーボニー治療の前に

近所の大きい病院で治療することにした。

初回は当直医にハーボニーで治療したい旨伝え、採血。次回の診察予定を決めて終わった。

次は別の担当医がつきますからと言われた。

 

後日2回目の診察。何故か別の担当医ではなく、当直医に呼ばれる。入るやいなや次回の予約の話から。いや、診療しないんかい(笑)って感じだが、金曜の診察希望と伝える。しかし担当医は水曜か木曜しかいないとのこと。当直医には「有給も取れないブラック企業で働いてるわけじゃないんだから休めるでしょ」と言われる。

「いや、そりゃ有給は取れるよ、全然取れる。むしろ取れって言われてるんだよ。ブラック企業なんて言ったら失礼なくらい法令遵守の企業ですわ。でもなんで診療のために大事な有給使わにゃいけんのですか、、、!!!」とは言い返せず、仕方なく水曜に予約を入れる。

自宅に帰ってきて、今日は金曜なんだから、最初から担当医には見てもらえなかったんだと気づいて、殺意が芽生える。

 

3回目は担当医に見てもらう。

ここでも衝撃の一言。

「将来子どもを産むとなったときに、薬がどう影響するかわからない。(データがない。)それを了承の上、治療するか決めてください。」

子どもを産むのは、私だけでできることではないので、一旦申請書は出してもらい、家族と相談することに。

 

ネットで検索してみても、子育てなども全部やりきった世代が治療してるブログしか見つからなかった。当たり前か。

治ったとしても、一定のリスクは負って生きていくんだなーとしみじみ。

家族に相談する前から、自分は治療する気でいたけど、このリスクを家族はどう思うかな、、、と心配しながら話すと、意外にもあっさりとした答え。

「もし障害のある子が生まれたとしても、その原因はわからないし、障害があったとしても育てることには変わりがないのだから、治療すればいいんじゃない。」

 

治療決定。

 

 

このブログについて【C型肝炎治療にあたり】

11月にハーボニーの治療を行うこととなり、今までの気持ち、そしてこれからの治療の記録を残す。

 

私は母子感染でC型肝炎になった。現在の年齢は25歳。

20歳になったときに、両親から病気のことを聞き、現在まで数値も悪くないことから治療薬が出るのを待っていた。

母の治療も終わり、飲み薬での治療を待っていたため、治療を受けることとなる。

 

【20歳】

同じ境遇の人をネットで沢山探した。あんまりいなかった。どうやら母子感染はあまりいないらしい。生まれたときから、とんだ宝くじを引いてしまったようだ。ん、貧乏くじか?

議員になった薬害肝炎の人の本を読んだ。どうせなら悪くなれと働きすぎたり、もがいてる姿には共感できず。正直、恨む相手(国)がいて羨ましいとも思った。

C型肝炎 助けて」でWEB検索。誰も助けてはくれない。

お酒を飲むなと過保護すぎるくらい口うるさかった親、姉には飲ませずに、私だけにプロポリスを飲ませる親、今まで気になっていたことに合点がいった。だがしかし、私の衝撃を癒やしてくれる存在はお酒のみであった。飲酒。そして飲酒である。

 

【21歳〜23歳】

病気だと知る前から決まっていた海外留学へ。病気のことは、片時も忘れることはなかったが、20年間生きてきた生き方なぞは変えることはできず。そして、病気なんかで生きたいように生きれないのはおかしいという思いで、普通に生活は送る。飲酒、そして飲酒したが、翌日に後悔するようになったので、最終的にあまり飲まなくなる。

1年の留学で、病気に関して悩んでも解決する方法がないのだから、悩んでも仕方がないという気持ちになる。でも悩む。修行の日々である。

具体的に何を悩むかというと、恋愛はできないな、とか。就活のときに、内定した会社には言わなきゃいけないのか、とか。海外留学にまた行きたいけど、治療が終わって治ってからじゃなきゃだめか、とか。

何かを決断するときに、病気のことを考えなければならない。これが一番きつかった。目に見えて、障害があるわけでも、病気が悪化しているわけでもない。治らないけど、悪くもならない5年間の中で、私は色んなことを病気を理由に諦めてしまっていた。

成人用おむつのCMで、「できないことを嘆くより、できることを楽しもう。」というキャッチフレーズが流れていた。絶望した。残酷な言葉である。そりゃできることは、言われんでも楽しんどるわ。

しかし、私がしたかったことは、病気のせいで絶対できないことではなかった。やろうと思えばできたはずだ。そう思うたび自己嫌悪だった。

この間も通院していた。半年に一回の儀式である。大きい病院、平日、長時間の待ち。老人しかいない待合室。滅入る。この一言に尽きる。今思えば、通院などしなくとも良かったのだとは思う。母子感染は20歳くらいまでは進行がほとんどないからだ。でも私の儀式だった。お前は病気だと、自分に言う儀式である。

治療方法など、WEBで調べるとコミュニティがあることがわかる。ブログ主はほとんど50オーバー。子供も家族もいるなかで、発覚している人がほとんどである。コミュニティに入る気にはなれなかった。

 

【24歳〜25歳】

こうして己の悩みを誰かに打ち明けることもなく、治療法が見つかれば、治そうという楽な気持ちに落ち着く。だって今は治らないから。と言っても結構切実である。治療法が見つかれば、すぐに治したい。

まあ、働き始めてから、仕事が忙しく悩む暇もなかったが。良かった。

周りに病気について言ったことはないため、どうだかわからないが、C型肝炎感染症であり差別、冷遇される、安易に言わないという空気がある。私がそんな秘密を抱えるのは無理である。むしろここまでよく言いふらさなかったと思う。頭の悪い空気の読まないミーハーな女子、それが私だ。あげくにかまってちゃんである。絶好のネタではないか。言えないことで、劣等感が大爆発している状態である。不幸自慢をしてピエロにもなれない。

親から「医療は進歩している」という慰めの言葉をよく聞いていた。またしても絶望的な言葉だ。「そりゃ病気は治るでしょうよ、でもね、私の5年間ってどうなるの。治っても戻ってこない。」という気持ちを親に伝えたときは、失敗したなと思った。

つまり、この5年間を私は肯定できていないわけだ。こうなってくると、肝炎自体は全く問題がないが、心の問題のように思えてくる。

 

治ったとして、私はこの5年を受け止められるのか。

わからない。

 

 

 

 

おわり